定年という人生の大きな区切りが、いよいよ目の前に迫ってきた。
信州・松本の澄んだ空気の中で生活しながら、ふと、かつてのアジアの熱気を思い出すことがある。 40代の頃、私はフィリピンをはじめとする東南アジアの活気ある空気に魅せられていた。当時、タイの夜をディープに、そして赤裸々に綴った「外道の細道」という知る人ぞ知るサイトがあった。私自身もその読者の一人だった。
誤解のないように言っておくが、私自身がタイで多少の夜遊びはした。男の人生のスパイスとして、異国の熱気に身を委ねたことはある。しかし、決して道を外れることはなかった。あくまで自分の生活の基盤は守りつつ、あのサイトに描かれるような刹那的で破滅的な生き方を、一種の読み物として、あるいは反面教師として眺めていたのだと思う。
その後、私はいったんタイという国から距離を置いた。 職場で管理職へと立場が上がり、かつてのようにふらりと安易に海外へ飛ぶことが難しくなったという物理的な理由もある。だが、それ以上に大きかったのは「恐怖」だった。
タイという国が持つ、あの異次元のような熱気と心地よい空間。そこにどっぷりと浸かり続ければ、いつか日本の現実世界へ帰れなくなってしまうのではないか。生活の基盤も、築いてきたものも、すべてあの甘い空気に溶かされてしまうのではないかという、本能的な恐れを抱いたのだ。
だからといって、タイから離れた後の私が、絵に描いたような堅実で立派な人生を歩んできたかといえば、決してそんなことはない。日々の仕事に追われ、時に流されるままに生きてきた部分も大いにある。
あれから時は流れ、時代は残酷なまでに変わった。 今のタイバーツは、私たちが「安くて豊かなアジア」を夢見ていた頃と比べ、およそ倍に届こうかという勢いで高騰している。かつてのように、少ない日本円を握りしめていけば何とかなるような国では、もうない。
定年が目前に迫り、リアルな「老い」と「今後の生き方」に向き合った時、お釈迦様の残したある恐ろしいほどに真理を突いた言葉が、私の胸に深く刻み込まれた。
「わかき時に清らかな行いをせず、財(たから)を発見しなかった人々は、魚のいなくなった池にいる老いた白鷺(しらさぎ)のように、しなびて死ぬ。」 (ダンマパダ 155)
この言葉を思い返すたび、背筋が伸びる思いがする。 もしあの頃、「外道の細道」の主人公たちのように、目先の快楽だけに溺れて時間を浪費し、人生の基盤となる「財(資金、資格、そして人間関係)」を築いてこなかったらどうなっていただろうか。
私がこれから始めようとしている「セカンドライフ・二重生活」も、一つ間違えれば、物価が高騰し日本円の価値が下がった今のタイで、ただ過去の栄光や熱狂にしがみつき、何も得られずに立ち尽くすだけになる。それはまさに、魚が完全に消え去った干上がった池で、じっと下を向いて餓死を待つ「老いた白鷺」そのものになってしまう。
私は、絶対にそうはなりたくない。 人生の最終章で、最後のもう一度のチャンスを手にして、自分の望む生き方を全うしたいのだ。
かつての熱狂的なアジアの夜は、もう過去のものだ。 これからの私のセカンドライフは、決して老いた白鷺のようにはならない。信州での日々の労働も、両親が残した実家を守ることも、自動車検査員等の資格を活かして着実に「円」を稼ぐことも、すべては干上がることのない「豊穣の池」を自らの手で作り上げるための作業だ。
かつて恐れをなして逃げ帰った異次元の空間へ、今度はしっかりと現実の足場を固めた上で、再び挑もうとしている。道に外れることなく歩んできた私自身の「細道」の先には、確かな未来が待っている。そう信じて、今日も私は松本の空の下で、来るべきタイでの暮らしに向けた準備を続けている。

写真は2004年5月パタヤの某ホテルから



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